報恩講ご満座。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

報恩講最終日です。

やっとブログが書けます。

6日・7日とたくさんのお参りありがとうございました。

今日は日曜日ですしお天気もいいので

お参りも多いのでは?と思うのですが、

ふたを開けてみなくてはわかりません。

一昨日は新通・護念寺住職、

昨日は小新・萬栄寺住職からお話いただき、

昨晩から石川県の吉峯教範師より高座にて

節談説教をしてもらっております。

最近は節をつけてお説教をしてくださる方が少なくなりました。

節がついたお説教は情にうったえます。

講義のようなお説教は眠たくなりますが、

節がついて語られると聞きいってしまいます。

今日も10時半から始まりますのでお近くの方はどなたでも

お参りください。

親鸞聖人の法要、ご満座では文類正信偈を唱和します。

これがまた難しいのですが、みんなで声をはりあげて

うたいたいと思います。

おいしいお斎(お昼の食事)も用意してありますので

どうぞお出かけ下さい! 

                ズッコケ住職

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深い深い闇の世界。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

ここしばらくブログ書けずじまいでした。

まだホームページも更新できてません。

(いつものことですが・・・)

親鸞上人のご法要、

報恩講がこの6日・7日・8日とつとまります。

大事な法要の前、準備等で気が落ち着きません。

あれもしなくてはこれもしなくてはと思いながら、

時間ばかり過ぎていきます。

そんな中で昨日お葬式がありました。

50代のご夫婦の心中でした。

お棺が二つ並べられてその前で読経。

お通夜でも法話では言葉がつまりました。

人は誰でも深層意識というものを持っています。

表面的な意識では制御できぬ深い深い闇の意識。

明るく元気に楽しくと、いくら一生懸命

表面の意識をまぎらしたりごまかしたりしても

深層意識は言う事を聞いてはくれません。

これを仏教では阿頼耶(アラヤ)識と言って

暴流にたとえられます。

暴れ馬のようなもの。

暴れ出したら手がつけられません。

親鸞聖人はその深い意識を罪悪深重とか煩悩熾盛と言われます。

表面的な善悪とか好嫌とか損得を超えた意識でもあります。

その意識が死を選びかねない。

だれも本心で死にたいと思って生きている人はいません。

人間の本質、本当に生きる意味とは?

今、目を向けなくてはならないのはそういう人間の深い深層心理なのでしょう。

その闇の意識の中に光を見出す。

親鸞聖人は南無阿弥陀仏の教えの中にそれを見出されました。

祈り(単なる神頼みではありません)や感謝することに

帰ることが大事なのでしょう。

それがご恩に報いる生活、報恩講。

恩に報いるどころか我執をつのらせるばかりの生活。

深い闇をよりいっそう深くしています。

報恩講を迎えるにあたり、

あらためて親鸞聖人の教えに聞いていこうと思います。

                ズッコケ住職

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ベースが大事。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

一昨日の坂井輪小学校ののサッカーの練習は

インフルエンザのため中止になりました。

小針小学校でも学級閉鎖でうちの子供も休んでました。

インフルエンザがこのところ猛威をふるいだしました。

元気な子供たちが外に出られないのは退屈で仕方ありません。

なんとかおさまってもらいたいものです。

そんな中、ゴスペルは休まずやりました。

子供も退屈で退屈で体を持て余していたので、

ゴスペルの子供たちが来てくれて、みんなでお寺中走り回ってました。

『OH HAPPY DAY』の二回目。

数少ない男性のひがしさんがバスからアルトへ行ってしまい

私一人になってしまいました。

低い声っていうのはなかなか出しにくいものです。

お経を毎日読んでいるから出るようなもので、

ふだん出さない声は、なかなかすぐには出せません。

声が低いと声も小さくなるので、ジレンマに陥ります。

バスはベースから来ているそうです。

基本とか基礎ということ。

みんなの声を支えねばならぬのです。

どっしりとしっかりと、

目立たず地味だけど大切なところです。

ベースがしっかりしているとみんなのハーモニーもそろうそうです。

『OH HAPPY DAY』の歌のように、ハッピーな毎日を暮らすには

そういう基本や基礎が大事になっているんだなあ~と教えられます。

インフルエンザのこの猛威も

身体を大切にしてくださいという、お知らせなのかもしれませんね。

                  ズッコケ住職

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地域をまもってくれている。

今朝の新潟市小針の天気は雨rain

日曜日の小針小学校のバザーは

新型インフルエンザのため中止になりました。

でも作品展はありました。

つぁつぁ(父親)クラブの催しもなくなり、

PTAの仕事も本部に役員さんが

待機しておればよいということになって

ゆっくり作品展を観ることができました。

自分の子供はもちろんのこと、

寺子屋習字教室に来ている子どもたちの

絵や作品はしっかり探して観てきました。

みんな傑作ぞろいです。

でもどうしてもそれぞれ書いた自分の名前に目がいきます。

しっかり書いているか、バランスはとれているか

大きく堂々と書いているか、

習字教室の気持ちで見てしまいました。

さすが寺子屋習字教室のみんな、りっぱに書いてありました。

6年生の教室には小学校最後の思い出としての

絵が飾られていました。

さすがに6年生は上手です。

そこに瑞林寺の景色を描いてくれている子どもたちもいました。

作品展前に一生懸命、境内に来て描いていた子供たちです。

そしてそれぞれに題名がついておりました。

「堂々とした瑞林寺」とか「大きな本堂」とか

その中で感動した題名をつけてくれている作品がありました。

あべほのかさんの絵で『地域をまもってくれている』という題名です。

「地域をまもってくれている」という言葉に、

お寺をそういう姿で見てくれている子どもがいるのか~と

胸が熱くなりました。

と、同時にがんばらなくてはいけないなあとも思わされました。

お寺が地域とどうかかわっていけるのか?

人と人とのつながりの発信基地として、

また精神的な拠り所としてのお寺の役割とは?

ほのかさん、6年生最後の思い出に

いい題名と素晴らしい瑞林寺の絵を、本当にありがとう!!

                ズッコケ住職

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うちの子ももしかしたら?

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

土曜・日曜とブログ書く暇がありませんでした。

土曜日は真宗セミナー公開講座。

日曜日は小針小学校の作品展とバタバタしておりました。

真宗セミナーは新潟ではテレビでもお馴染みの

青綾大学の心理学の教授、碓井真史先生をお願いしました。

青少年の犯罪について詳しい先生です。

講題は『普通の家から「りっぱな家」になってから』

今は、うちの子に限ってそんな事件を起こすはずがないという親の思いが

うちの子ももしかしたら何をしでかすかわからないという時代になりました。

そこにはみんなが「りっぱな家」を求めている。

りっぱな家とは何でしょう?いい学校、いい会社に勤めること?

何かをはきちがえて「りっぱな」ということを考えているというお話でした。

先生はプロテスタントだそうです。

浄土真宗の「悪人正機説」とキリスト教の「原罪」は似ているというお話から

恥じと罪についても教えてもらいました。

恥じを知るということと罪の自覚には大きな違いがあるのだと。

恥ずかしいと思うのはまだ消極的で

罪の自覚ということになって積極的な生き方がはじまるのだと。

恥じをかいて「死んでやる!」から「誰でもいいから殺してやる!」

となるのが最近の無差別事件の傾向だそうです。

現代は恥すら隠そうとする。自分もそう親もそう。

勉強はできても、恥をかいたところでその対処方法がわからない。

人は恥をかいても、その積み重ねが罪の自覚になるのだとも教えてもらいました。

そこに、何とか「人のため」に「自分のため」に生きなければならない

という意識が生まれてくる。

でもその背景には無条件の愛というものがある。

それは神とか仏という存在であるとも教えられました。

心理学でも最終的には神とか仏というところに行きつくということですが

それを論証しなくてはならないために、

そこまでつっこんで心理学は進んでいないそうです。

自分の我執や思い計らいをひとまずさし置いておいて、

お寺で、仏様の前でそういうお話を聞けるということが大事なのでしょう。

公民館とか学校とか、公共の施設で聞くお話はいっしょでも

お寺を公開して講座を聞かせていただく、それが大事なことだと思います。

                    ズッコケ住職

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中越地震あれから5年。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

昨日は小千谷のお寺へ学習会で行ってきました。

五年前の今日、中越地震がありました。

お寺では報恩講に向けて仏具みがきをしていて

グラグラときた時には思わず子供が飛びついてきました。

それからいろいろと情報が入ってきて小千谷のあたりがひどいということ。

心配で電話をかけましたが通じません。

私も地震後すぐに小千谷のお寺に行きました。

道路は地割れはしてるし、倒壊している家はそこらじゅうにあるし

いつも訪れている小千谷とはほど遠い状景で思わず足が震えました。

お寺も本堂が傾き、お墓がほとんど崩れていました。

あれから五年、お寺も修復され、お墓もきれいに整地してあり、

町の風景もなにもなかったようにもどっていますが、

まだまだ精神的な後遺症はいたるところで今も爪痕を残しているそうです。

何が起こるかわからない、

今まで積み上げてきたことが、すべて崩れ去る。

それを間のあたりにした方々は強い信念があります。

災害は災害として、また新たに立ち上がることができる力を

人は誰でも持っているのでしょう。

しかし人は支え合わなければそれはできません。

一人では生きていけません。

だから人間とは間を支えあって人となるのでしょう。

そのことをあらためて昨日小千谷を訪れて教えられました。

                 ズッコケ住職

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楽しみにしていたバザー中止。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

小針小学校のバザーがインフルエンザのため

中止になりました。

昨日PTAの本部役員で急遽集まり、決定しました。

本当に残念です。

ここまでみなさん本当に御苦労して準備してくださいました。

バザーの食品類もお楽しみ広場も

つぁつぁのカレーも綿あめも

焼きそばもおしるこもみんな中止です。

でも仕方がないことです。

インフルエンザには対処のしようがありません。

昨日はキャンセルの電話を入れたり、食券返金の作業をしたり、

またこのあとも後始末がいろいろ続きます。

なにか盛り上がることもなく、あとかたづけとは虚しさが残ります。

子供たちが一番残念です。

でもこれもまた小学校の思い出の一つになるでしょう。

とにかくみなさん本当にご苦労さまです。

しかし作品展だけは行われます。

年に一度の作品展、

子供たちにとってはその時だけの作品です。

日曜日は一日法事もなくゆっくりできますので

子供たちの作品をじっくり観てこようと思います。

みんなの力作をゆっくりたんのうできると思えば

それもまた楽しいものです。

バザーがあればゆっくり観ている暇もありませんでしたから・・・

バザーは無くなり、つぁつぁの表舞台も出番も無くなりましたが、

作品展の後の先生方とつぁつぁクラブの打ち上げ会は

残念会として予定通り行われます。

そこでみなさんねぎらい合いましょう!!

                         ズッコケ住職

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偶然の出遇い。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

昨日は午後から宝池の会と夜は仏教青壮年会がありました。

宝池の会は『歎異抄』を、仏教青壮年会では『阿弥陀経』です。

どちらもこじんまりした会ですが、

本当に熱心に聞いて下さるので

こちらもがんばらなくてはなりません。

ヘトヘトになりますが、その都度その都度新しい発見があります。

これを「出遇い」というのでしょう。

いつも出会っていて当たり前になっては「出遇い」とはいえません。

「遇う」という字は「偶然に出会う」ことをいいます。

わたしたちは日々偶然に出会ってお互いが生きているのでしょう。

当たり前のことではないのです。

たまたま出会った者どうしが、たまたまこうして同じ環境を生きている。

なんと不思議なことでしょう。

今日は今日しかない。今は今しかないということを、

聞法会を通して感じさせていただいています。

青壮年会の後はフットサルでした。

昨日は20人以上集まり4チームで対抗戦、

活気がありました。

これもまた偶然の出会いなのでしょうね。

                   ズッコケ住職

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報恩講に向けて出発。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

昨日は報恩講に向けての仏具みがきがありました。

報恩講は11月6・7・8の三日間つとまります。

季刊紙の光輪「報恩講号」がやっとでき、

仏具みがきの前に世話方のみなさんに

配布の準備をしてもらいました。

この後、世話方のみなさまに配ってもらいます。

いつもご苦労おかけしており、感謝しております。

これから報恩講に向けて

お経の練習やお花立て、掃除やもろもろの準備等

お寺にちょくちょく足を運んでもらいますが

よろしくお願い申し上げます。

報恩講は浄土真宗においては一番大事な法要、

宗祖親鸞聖人のご法事です。

今年は748年忌。

法事をつとめるということは

私のいのちの根源をたずねることです。

この世に生まれてきた意味を問う。

誰もがこの世に生まれた意味があり、意義があります。

それがわからず虚しく毎日を過ごしていては申し訳ありません。

法事をつとめることで、私の根源の一端を知ることができます。

親鸞聖人は「帰命無量寿如来」と教えて下さいます。

簡単に言えば「いのちに帰りましょう」ということ。

無量寿といういのちに帰る。

私のいのちはその無量寿といわれる命の世界から如来しています。

如よる来る、我が命。

我が命は私の命ではなく、いただいた命を今生かさせてもらっているだけ。

そして死んだらその命の世界・お浄土へ帰るだけ…。

私たちは我が物顔で生きていますが、みんな頂きものの命を

生かさせてもらっていますと親鸞聖人は教えて下さいます。

だから法事というのは、私がつとめ(てやってい)るのではなく、

つとめさせて頂きますと昔の人はよく言われてました。

親鸞聖人のご法事・報恩講も、つとめさせて頂きますという態度で

準備に励んでいこうと思います。

ご門徒のみなさまご協力お願い申し上げます。

                     ズッコケ住職

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食券作りに勢をだす。

今朝の新潟市小針の天気は晴れsun

昨日は午前中からバザーの準備で小学校に行きました。

私と吉田会長といつも男は二人きり。

女性パワーに圧倒されます。

昨日の私の仕事はバザーの食券つくり。

ずっとパソコンとにらめっこ。

エクセルで作るのですが、ふだん使わないので勝手がわかりません。

悪戦苦闘してやっとできたらもうお昼でした。

その間、お母さんたちは窓ふきを一生懸命しておりました。

力仕事は男の仕事・・・のはずが、会長ともども男は役に立ちません。

お母さんパワーで窓はピカピカです!

足手まといにならないように静かにパソコンに向かっていて正解でした。

小針小学校の「わたあめ」と「おしるこ」の食券を買ったら、

それは住職が作ったものですのでよく見て下さいね!!

ウインドウズのツールのペイントで苦労して絵を描きました。

午後からは寺子屋習字教室。

パソコンに向かっていた午前中とは違い、

子ども達とおもいっきり遊べました。

          ズッコケ住職

            

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